ねばねば人から

おはようございます
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トイレ掃除の問題にしても「ありがとうの奇蹟」にしても、「そうならなくていいけど、なってくれたら嬉しい、楽しい、幸せだ」と思うこと(執着をなくすこと)が、宇宙とつながることになるようなのです。

執着を強く持っている(「思い」を強く持っている)間は、宇宙とはなかなかつながりません。

宇宙の無限なる支援を得たいと思うのならば、執着を捨てること。

「そうでなくてはならない」というこだわりや、とらわれを捨て、そこからいかに切り離されるかというこ
とがポイントであるようです。

「こうであらねばならない」「どうしてもこうしたい」「私はこうでなければならない。家族もこうでなければならない。社会も、宇宙もこうでなければならない」という

「ねばならない」をたくさん持っている人を「ねばねばした人」と私は呼んでいるのですが「ねばねばした人」=「粘着力の強い、執着の人」ということにほかなりません。

そして、ねばねばと執着している人は、なかなか自由に気持ち良く上に伸びることができず、そのために天や宇宙と手を結ぶことができない、という構造になっているような気がします。

ただしい人からたのしい人へ
小林正観
弘園社
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Posted 桃やのさっちゃん at 2010年03月31日 08:21
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